Sunday, March 25, 2012

通訳という使命 1

私がカナダに来たのは1999年8月。


私がカナダ生まれであること、(2歳半で日本に帰って来ているので、その頃の記憶や
英語力なんかは、全くありません。。。)、母がクリスチャン系の学校を卒業している
ことで、外国人宣教師さん達やそのお弟子さん達に出会うこともしょっちゅうだったこと、
長崎には古い教会がいくつかあり、その昔は隠れキリシタンなどでも有名な土地柄だし、 
長崎県には佐世保市に米軍基地があり、週末になると多くの外国人を見かけることも
多かったので、私自身は英語を話そうとする興味が人より強かったように
覚えています。


かといって、英語が達者だったかというと、そうでもなかった。。。


1999年からカナダに1年滞在してみようと決めた時からは、外国から輸入されて
きたドラマを見ながら英会話の理解力を鍛えようと頑張りました。その頃、好きだった
ドラマは「ビバリーヒルズ高校白書」と、「アリー My Love」。

「ビバリーヒルズ高校白書」

「アリー マイラブ」


ビデオにダビング(ダビングという言葉すら古く感じますねー)して、まずは
英語のみで観て、意味がわからずも全て観る。それから、日本語のみに吹き替えて、
全て観る。 何を言っているのか意味がわかってから、もう一度英語のみで観る。

というのを、何度も何度も繰り返しては英語の勉強をしていました。

が、しかし、この勉強法の欠点は、聞くことは出来ても、会話が出来ない。
そんなことには気づかずに、会話がわかった、わかったと、大満足しながら、
いざカナダに到着。 そして、やっと気づいた。

「話せない。」


相手の言ってることは、何となくわかるのだけど、自分が言いたいことが
言えない〜〜〜! 
なんて言おうかと、頭の中で文法を作っているうちに、会話は進み、やっと
言いたいことが頭の中で出来たころには、もう遅い。次の会話に入るにも
入れず、ただ静かにしているだけ。


そんなこんなで、最初の3日は脳みそ痛が続いたんです。これは、明らかに頭痛とは
違う痛みで、なんというか脳みその筋肉痛のような、そんな感じ。
多分、今まで使ったことのない脳みその言語部分をいきなり使い始めて、
脳が驚いてしまったのでしょう。


しかも、私は日本からこのチリワックという田舎街にいきなり来たので、
日本語を話す相手がいない生活が4ヶ月続いた。 やっとのことで、たった
一人の日本人に知り合い、その人を訪ねて、バンクーバーという大きな街に
出向いてみたら、まー、日本人の多さに驚き、そして、自分の日本語が衰えている
ことにも驚いたんです。

「えーっと、飛行機が飛んだり降りたりする場所ってなんて言葉だったっけ?」
「、、、。飛行場のこと???」
「あー、そうそう、飛行場、飛行場!」たった4ヶ月日本語を話さなかっただけで、
飛行場というシンプルな言葉を忘れてしまうなんて、どういうこと???

英語力はボチボチ伸びていったものの、日本語の方は衰え、
「あたしの言語能力はどうなっちゃうのぉ〜?」と不安になったものです。


そうこうしながら、1年がすぎ、日本に帰ることになりました。

今は2012年。
あれから13年が経とうとしていますが、その頃からすると、今のお仕事を
するようになるなんて、想像もつきませんでした。



それは、「通訳」というお仕事。


続く。